最近よく耳にする”インフルエンサー”という言葉。
要は世間に対し大きな影響力を持つ人物ですが、この人達の言っていることが私にはイマイチしっくりきません。
「インフルエンサー」が気に食わない
最近”インフルエンサー”と呼ばれる、又は自称する人たちのネット上での活動が目立ちます。
私はプロブロガー(現在はYoutuber?)のイケダハヤトさんが自分でそう言っていることで、初めてそういう人達がいることを認識しました。
その人達のブログなどを好きで読んでいると、考え方に大変納得することがありますが、同時に、どうなんだろうと首をひねることもしばしばあります。
有名「インフルエンサー」であるはあちゅうさんが以前次のようなツイートをしていました。
「クリエイターは幸せだと作品がダメ説」根拠無いのに根強くて、コピーライターになりたての頃にも「苦労してなきゃいいものは作れない、幸せなやつの書くものはつまらない」なんて上の人に言われたけど、#旦那観察日記 は幸せを燃料にして書いてる。良いものを幸せに作りたい。
Twitter
なるほど、一理あります。
ですがやはり、納得できない部分や物言いがあります。
それはほとんど揚げ足取りかもしれませんが、正にその部分が昨今の「インフルエンサー」という方々に対するある種の反感を覚えるところなので、そこについて僕の考えを述べます。
「一理」はどちらにもある
早速はあちゅうさんのツイートの僕が気になる部分に触れていきます。
「苦労してなきゃいいものは作れない、幸せなやつの書くものはつまらない」という当時の上司(でしょうかね)の発言は一方的で、全く偏った考えで、こんなことを言われたら私もうんざりします。
それに対し、はあちゅうさんの「幸せを燃料にして書いてる。良いものを幸せに作りたい。」という姿勢と考えはすごく良いですね。爽やかで前向きです。
そうやって作られたものは、それを受け取る側もきっと幸せな気持ちになると思います。
しかし、その前の「『クリエイターは幸せだと作品がダメ説』根拠無いのに根強くて」はどうでしょうか。
私はここに違和感を覚えます。
本当に根拠もないのでしょうか?また、「根強い」ならそこに理由があるのでは?と、私は考えます。
結論から言えば、私は「クリエイターは幸せだと作品がダメ説」も理解できますが、同時にもしくはそれ以上に、不幸なクリエイターが作ったものは多くの人を引きつける力を持ちやすいと考えています。
「不幸」という言葉が強すぎるなら、ツイートにもあるような「苦労をしている人」でもいいですし、「悩みや問題を抱える人」でもいいです。
どういうことかと言うと、絵画でも小説でも、もちろんブログでもいいですが、創作物はそれがどうして受け入れられるかと言うと、その時の受け取り手(消費者)が抱える悩みや問題に対するある種の答えを提示しているからです。
ブログが正にそうで、商品レビューでも何かのノウハウでも「どれを買ったらいいかな?」とか「どうやるんだろう?」とかいう、悩みに対する答えを示してくれる記事が人気になります。
もっと重い、「生きるとはなにか」というテーマの作品や、著名人の「重病のカミングアウト」などを想像していただいてもいいです。
そして、そのような答えや進むべき道を提示できているクリエイターというのは、やはりそこに同じ苦労や悩みを持った人です。つまり、苦労したからこそ、他者を引きつけることができるのです。
さらに、「同じ悩みを持つ」ということは、その悩みの内容にだけにとどまらず、もっと奥深く強い共感を呼び起こします。
一方で「幸せ」というのは人それぞれで、内容的にもそれ以上の部分でも、「悩み」に比べ、共感は起こりにくいものだと思います。
はあちゅうさんの上司がいう「苦労したから作れるいいもの」というのは、その内容の部分だけでなく、こういった共感を呼ぶものといった意味ではないかと推測します。
だから、上司の発言は根拠も、それが根強く様々なところで言われる理由もある、はあちゅうさんの発言と同じように「一理」あるものだと、私は考えるのです。
もちろん、先程も書きましたが、幸せを燃料に何かを作るというのも非常に貴重なことで、多くの人がそのような姿勢や考え方で創作活動をしていったら良いと思います。
特に最近は「苦労して~した」という暗い話ではなく、それに触れるだけで明るく幸せな気持ちになれるような作品が求められている時代だと思います。
それを敏感に感じ取り理解しているからこそ、はあちゅうさんはこのようなツイートをしたのではないかと私は思います
ですがやはり、「根拠無いのに根強くて」というのは言い過ぎで、はあちゅうさんにも上司の方にも、双方に「一理ある」と考えるのが懸命だと思います。
やっぱり言い方が気に食わない
自分で言っておいてナンですが「双方に一理ある」という「どっちもっどち論」は、私は大嫌いです。
なので、やっぱりはあちゅうさんの言い方が気に入らないという話を続けます。
といいますか、はあちゅうさんが気に入らないというより、いわゆる”インフルエンサー”に共通した物言いのように感じ、それが良くないと考えています。
それがどのようなことかを説明します。
私は先ほど「本当に根拠もないのでしょうか?また、『根強い』ならそこに理由があるのでは?と、私は考えます。」と書き、そして、そのように考えるのが普通であり、論理的だです。
どういうことかというと、「自分の考えや立場を表明するときに、自分が正しいと考えるその答えに至る過程で、他の考えとすり合わせ、場合によっては他の考え方に部分的に理があるということを認めつつも、自分はこちらを選ぶといった、そういった逡巡の中で言葉を選んで表明する」ということです。
そうすることによって、複雑な現実に対してどのように考え、どのような行動や立場を取るかということが過程も含め、聞く人・読む人に伝わります。
そうやって思考の過程を少しでも追えるようにすることで、同じ立場の人はもちろん、立場が違う人にも「なぜそのように考えるか」が伝わり、議論が発展したり、場合によっては相手を納得させ、考え方を変えたり先に進めさせたりすることができるのです。
また、そのようなやり方でする発信者は、問題の細かな部分や、様々な理由で弱者の立場にいる人やマイノリティの人たちにも眼差しを向けることができる知性と優しさがあると思います。
それに対して、「インフルエンサー」と呼ばれる人達の多くが、過剰に強く断定的な言葉で立場や考えを発信することが多いように感じます。
そこには「なぜそう考えたのか」という思考の過程が読み取りづらく、もしそれを理解できないという人がいれば、そのような人たちのことを「バカ」だの「時代に付いてきていない」といって切り捨てたり、対立を煽ったりしているといった印象を私は持っています。
そして起こるのが”炎上”です。
このように言うと「インフルエンサーはその炎上まで狙って発言しているんだよ」と言う人が出てきます。
私もそれは理解しており、そのとおりだと思いますが、多くの人に影響を与える「インフルエンサー」だというのであれば、そのようなやり方はするべきではないと思います。
意図的かどうかはともかく、”炎上”というのは結果として注目を集めます。
その上で、あえて意図的にやるとすれば、それは単に注目を集めるためでなく「儲けるため」です。
儲けることが悪いことだとは言いませんが、それは自分の利益にするということです。
それも悪いことではないのですが、曲がりなりにも「インフルエンサー」という他人への影響力がある立場にいるなら、そしてそれを自認しているのであればなおのこと「自分のためだけでなく他人のため」ということも意識して立論と発言をしてほしいと思うのです。
断定的・断片的な強い言葉による”炎上”で多くの人の耳目を集めるのではなく、多様な考えを巡らした結果としてその立場にいるということを示すべきなのです。
だから私は、過剰に断定的な物言いで人を煽ることによって注目を集める「インフルエンサー」と呼ばれる人達がが気に食わないのです。
まとめ。そしてさらに思うこと。
考えや立場の表明は、誰しもがそれをする権利を持っています。
正に今、私はそれをしているわけですが、意見や情報を発信する場合、できるだけ多くの人に正確に伝わるようにするべきです。
しかし当然、万人に伝えるということは不可能です。
ですが、できる限りそうする努力はすべきですし、「インフルエンサー」であればその努力をよりすべきです。
ましてや、自分の利益を目的として意図的に”炎上”起こすために、言葉足らずで断定的な物言いで、立場の異なる人を切り捨てたり、対立を煽るというのは絶対的に良いことではありません。
しかしさらに、少しだけ違う考えも記しておきます。
今回のはあちゅうさんの発言はTwitterという140字という字数が限られた場でのこととも考えられます。
限られた字数で複雑な意見や考えを他者に伝えるのは非常に難しく、高度技術が求められます。
それも含め、現代のネット社会は、目に触れてしまう小さな問題や考え方の違う人たちが見えすぎてしまう、断定的な物言いも致し方ないとも思います。
私は「マイノリティにも目を向けてほしい」と言いましたが、ネットでそれをするとマイノリティの存在が見えすぎてしまいます。
そしてその一方でマイノリティの数が多すぎてすべてのマイノリティに配慮するというのは至難の業です。
そのような無限の配慮が求められる無茶な状況においては、細部に目を向けようとしても際限がなくなってしまうので、「インフルエンサー」達は一部の人達に向けて断定的・断言的な言い方をせざるを得ないという側面もあると思います。
そしてこれは現代的な決断主義的な振る舞いだとも言えます。
ですが、自ら他者に影響力を持つ「インフルエンサー」を名乗のであれば、どのような時代の流れや社会状況にも諦めず、できるだけ多くの人に伝わるような言葉を作り上げて発言してほしいと思います。
困難な状況においても「言葉を『作り上げる』」人が「クリエイター(創造者)」であり、人に良い影響を与えうる「インフルエンサー」だと私は思うのです。