作家・文学者から考える学校教育と教養の意義

  • 2020年1月31日
  • 2020年2月18日
  • 日々雑感
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太宰治の小説『正義と微笑』の登場人物の言葉がネット上で非常に共感を呼びました。

そこには批判も多い『学校教育の意義』について非常に肯定的に捉えることのできる内容で、私もその考えにはとても共感しました。

なのでここでは、その『正義と微笑』の内容を掘り下げつつ、さらに私がその言葉が普遍的な考え方である思う理由として、田中美知太郎ゲーテの言葉を紹介したいと思います。

作家・文学者から考える学校教育と教養の意義

以前こんな記事を書きました。

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「学校の勉強やテストの点数よりも大切なことがある」といった考えが蔓延していますが、それは良くないという内容です。

この記事ではそれを『ドラゴンボール』『SLAM DUNK』『HUNTER☓HUNTER』という人気漫画を例に出し述べたのですが、ここでは作家や文学者の考えを紹介し、私の考えを述べていきたいと思います。

太宰治『正義と微笑』 カルチャーとは「教養」である

学校の勉強「も」大切

太宰治の小説『正義と微笑』は、太宰作品によく見られる自意識の高い青年がが主人公です。

知的エリートを兄に持つ主人公・進は、自分もその様な道に進もうと大学を受験するが挫折し、自分のあり方や家族の関係に思い悩み、ついには俳優への道を進んでいくことになります。

その一節が最近ネット上で話題になりました。

それを引用し、私の考えをお話します。

「勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても。その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものなのだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!これだけだ、俺の言いたいのは。……」

『現代日本の文学31 太宰治集』 足立巻一〔ほか〕編 学研より引用

これは主人公・進の通う学校の黒田先生が離職の際に生徒に向けた言葉です。

学校の先生を始め世の中をやや皮肉っぽい視線で見ている進も、黒田先生には尊敬の念を抱いています。

それだけに、また文脈からも「作者の主張・考え」と解釈できると思います。

私は、この主張は全く正しいものだと考えています。

しかし、世の中にはこの主張と反対の考え方が多く見られ、そちらのほうが重要視されているとさえ思います。

つまり、「学校の勉強やテストの点数よりも大切なことがある」という考え方です。

確かに学校の勉強が全てではありません。

また、現在の学校をめぐる様々な状況を考えると、学校に対し否定的な見方をしてしまうのも頷けます。

しかし、先ほども述べましたが、学校で学べる勉強というのは非常に大切なものなのです。

ですから、日々の生活やその中で具体的に役立つ知恵や知識も大切ですが、学校の勉強「も」大切なのです

それがどういうことか説明します。

カルチャーとカルチベート

引用の中の締めに、「真にカルチベートされた人間になれ!」とあります。

これが最も強く主張したいことでしょう。

では「カルチベート」とは何でしょうか。

「カルチベート」とは英語の“cultivate”、「耕す」という意味です。

つまり「耕された人間になれ」ということです。

巧く耕された土は、後に大きな実りをもたらします。

勉強により自分を耕し、善き人格を身に付け、善き人生を送ってほしいという、先生から生徒に向けたメッセージです。

では「カルチャー」とは何でしょうか。

※(ここでは作品本文にある「カルチュア」ではなく、現代の私たちが使用している「カルチャー」で表記させていただきます。)

ご存知の通り、英語で“culture”であり、「文化」という意味です。

しかし、このcultureには「教養」という意味もあるのです。

ここではその意味で使用されています。

双方の単語に“cult”とあり、これはラテン語の“colere”(耕す)を語源としているからです。

つまり、「culture=文化・教養」からだと想像しづらいですが、「cultivate=耕す」と、もともと同じ意味を持っているのです。

つまり、「教養によって自分を耕すべきだ」と言う話をしているのです。

教養とはなにか

では「教養」とは何でしょうか。

これは作品内でも言われているように「心を広く持つということ」です。

様々なことを知ると言い換えてもいいかもしれません。

それは学校の勉強だけではありません。

運動、遊び、食事や睡眠などなど、あらゆるものが教養です。

この記事、または作品内では「学校の勉強」に重きをおいた語り口になっていますが、いつの時代もそれが蔑ろにされているからだと思います。

実はこのことは以前紹介した『ドラゴンボール』の亀仙人とまったく同じことを言っているのです。

拳法を学びたい悟空たちにこそ、一見関係のない勉強が大切であるということです。

自分の目的としているものに直接役に立つことだけでなく、それ以外のことも学ぶ、つまり「心を広く持つこと」が教養なのです。

「自分のやりたいことだけをやる」というのがいかに狭く、いかに傲慢なことかわかるかと思います。

だからといって知識量の過多を比較することではありません。

黒田先生も言っているように、忘れてしまってもいいのです。

むしろ忘れた後に、それでも残った「一つかみの砂金」が大切なのです。

この「一つかみの砂金」を得るためには、繰り返しになりますが、あらゆることを学ぶべきです。

やりたいことだけでなく、学校の勉強という直接役に立たなそうだし、やりたくないものにも広く心を開き、取り組まなければならないのです。

田中美知太郎とゲーテ

2人の著名な文学者・作家の言葉を紹介してます。

田中美知太郎は哲学者・西洋古典学者としてソクラテス・プラトン研究における日本の第一人者です。

ゲーテは言わずとしれたドイツの大作家です。

概要は下記のリンク先を参照していただければと思います。

田中美知太郎 – Wikipedia

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ – Wikipedia

まずは田中美知太郎の言葉として、『小林秀雄対話集』(講談社文芸文庫)から引用いたします。

「外国でも暗誦が基礎じゃないですか。私の教わったドイツ人はむやみに暗記させた。ゲーテの長い詩を覚えてこいという。試験が終るとケロリと忘れてしまうけれど、やはりあれが本当じゃないかと思いますね。……」

『小林秀雄対話集』(講談社文芸文庫)

これは、田中美知太郎が海外で学んでいたときの話です。

どうでしょうか、太宰の『正義と微笑』の黒田先生の言葉と似ていませんか。

覚えて、その後忘れてもいいのです。

ですがそれこそが本当、つまり「一つかみの砂金」を得ることなのです。

そして、この『小林秀雄対話集』の田中美知太郎との対話に付けられているタイトルは「教養ということ」なのです。

また、この話に出てきたゲーテも、学ぼことに関して『正義と微笑』に似ていることを言っています。

田中美知太郎が覚えた詩の中に、その言葉があったかはわかりませんが、ここまでのお話と関係がある言葉だと思います。

それは

「われわれは結局何を目ざすべきか。世の中を知り、それを軽蔑しないことだ。」

というものです。

あえて関連付ければ、「心を広く持とうとすること」、または「あらゆることを無意味なものと馬鹿にせず、知ろうとすること」とも言い換えられると思います。

そして、それを目ざすべきということなのです。

おわりに

太宰治の『正義と微笑』で言われている大切なのことは、学校の勉強そのものやそれで得た知識ではなく、勉強で頑張って覚えたことを忘れた後に、それでも残った「一つかみの砂金」です。

それは「心を広く持たなければならない」ということであり、つまりは「教養」ということです。

社会での生活に役に立つことも重要ですが、直接役に立たないが、先人の知恵の集積である学校の勉強を通してこそ得られるものでもあるのです。

そしてそこには、分かりづらいかもしれませんが、田中美知太郎が「やはりあれが本当じゃないかと思いますね」といった、生きる上で最も重要で本質的なものが隠されているのです。

その実践として、ゲーテの言うように「世の中を知り、それを軽蔑しないこと」が重要なのです。

学校の勉強を無意味なものと決めつけることをせず、しっかりとそれも学んでいくことが重要でなのです。

きっとそれが、その人にとって本当の意味で役に立つことになると私は考えています。

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