『吉田類の酒場放浪記』にも登場したこのお店は、当時とは様子が違う。放送では伊那の名物ローメンを食べていたが、現在提供しているのは飲み物以外は焼き鳥と乾き物ぐらいだという。
青春18きっぷを使って、長野の伊那に訪れた。伊那市は、秘境路線として知られる飯田線の沿線の中では、指折りの大きな町だ。また中央線の塩尻や岡谷といった駅からも比較的近くて行きやすい。
昭和の名残を思わせる町並みが今でも残っており、以前から行きたいと思っていた。
実際に歩いてみると、噂に違わず懐かしさを感じる風景に出会える。“町の映画館”の「旭座」や小さなアーケード商店街、昭和歌謡が流れてくるスナック街など、歩いているだけでも楽しい。
その日は昼過ぎに伊那に到着し、町並みを一通り見て回った。その後、宿のチェックインまでまだ少し時間があったので、休憩がてらにお昼ご飯を食べられる店を探した。
しかしランチタイムを終えたばかりで、目ぼしい店はほとんど閉まっていた。だが、一軒だけ、暖簾が出て赤提灯が灯っている店があった。
入ってみると客は1人もおらず、ご主人が休んでいた。少し間が悪かった、と思ったが「ああ、来てくれてよかった」と言われ、ホッとする。
先述したように、ここのメニューはお酒以外は焼き鳥と乾き物のみ。そうと知り、日本酒「夜明け前」と焼き鳥を注文しつつ、失敗したかも、と考えていると。ご主人が焼き鳥を焼きながら色々な話をしてくれた。
ご主人がいろいろやっていた人だ。実家は南伊那の大きな農家の長男で、父親はその区域の長をするほどの家らしい。
だが、ご主人は18の頃東京へ出たいと申し出て上京。出版社で働きながら、夜は西銀座でバーテンもしていた。そこの女将が女優上がりで役者なんかもやってくるような華やかなバーだ。
平凡の雑誌に「今話題の清純派女優」と謳っていた女優も「何が清純派だ、男と遊んでんじゃねえか」と、当時の内情を知っていたご主人は笑う。
「西銀座を肩で風切って歩いていた」と、懐かしそうに話す。
しかし父親が迎えに来た。もともと「10年で家を継ぐために戻る」という約束だったからだ。
ご主人は家を継ぐために戻ってきてたが、役所の林務課や長野県庁、つまり伊那とは少し離れた土地で働いていたようだ。家は実質、弟が継いだ形になったらしい。
だがご主人は伊那の豪雨の災害を機にこの地に戻ってきた。ユンボやロープを端渡すようなクレーンの免許も持っていたため、大きな役割を果たした。
その後もいろいろやったが、この居酒屋きりんのカウンターに立ったのは、実はせいぜい10年ほど前。
元々客としてきていたが、前のご主人の奥さんが亡くなった際、店をたたむという話にな。だな今のご主人が「俺も何もしていないわけにはいけないからちょうど良い」と店を引き継いだようだ。
その直後くらいに吉田類の酒場放浪記のディレクターらしき人がやってきて取材を受けたということだ。それ以来、レトロな町の昔ながらの居酒屋、ということで知る人も多くなった。
おおまかだが、そんな話をしてもらいながら、熱燗を啜った。一人の人の青春、人生模様を聞いた気がした。
店に入ってから1時間近く経ち、時計は午後4時を回っていた。
「そろそろお客さんが来るかもな」
居酒屋きりんは、午後2時くらいから開いており、閉まるのも午後8時くらいと早いらしい。
人との距離が近いカウンターでゆっくりと飲める、雰囲気のある酒場だった。