自分以外の人=他者が何を考えているか、又はなぜその人はそれをするか、反対にそれをしないか想像し、思いを巡らすことは大切です。
最近こんなツイートを見ました。
私もまさにこの状態で、高校卒業後、昼夜問わずアルバイトをして、その後普通の人より時間はかかりましたが、幸いにも大学に進学できました。
しかし、浪人中に同級生Aからは次のようなやり取りをしました。
私「奨学金は知ってるよ。」
A「じゃあなんで使わないの?」
私「勉強するとか学費とか以前に、自分がしっかり働かなきゃ生活が成り立たないんだ。」
奨学金を得れば学校で勉強するお金を得ることはできますが、生活費のすべてを賄うまでのお金が手に入るわけではありません。
私はこれで納得してもらえると思ったのですが、どうもその同級生Aは僕が何を言っているかわからない、納得出来ないというような顔をしていました。
私自身も、当時を振り返ってみて最善の行動をとっていたとは思いません。
もっと調べていれば、より効率よくお金を稼げて、それによって勉強に使うお金も時間も確保できていたかもと考えることはあります。
そして当時だって、分からないなりにもっといい方法がないかと考えていました。
ですから、Aに反発していたのではなく、もし僕の考えが納得できないならより良い手段を教えてほしいと思っていました。
しかし、Aは何かアイデアを持っていてそれを提案するのでもなく、私が示した理由にただただ納得できないという様子でした。
まさにツイートと同じような状況だと思います。
このようなツイートと私自身の経験から、「他者に対する想像力の大切さ」を考えてみたいと思います。
他者に対する想像力が大切
こういった状況はこのときだけではなく様々なときに感じますし、私がうつ病になってさらに出くわすことが多くなりました。
”他人がどんなことを考え、どのような行動を取るか、反対にどのような行動は取らない(取れない)か”は、他人には基本的にはわかりません。
そのことを理解していない人が多いなと感じます。
もし他人の考えていることが何もせずにわかったら、それはたまたまか超能力者です。
又は「その人のことを元々色々知っていたから」とか「似たような環境で育った」「同じような経験をした」とかです。
わかるのはたまたまで、わからないのが基本です。
日本人同士ではわかるけど外国人はわからないことが多いということを思い浮かべればわかりやすいと思います。
人は他人のことはわからないのが当たり前なので、だからこそ、他者の考えや行動の理由を想像することが大切なのです。
想像した結果、相手がなぜそのようにするかがわかり、納得できたというならこの上ありません。
自分の考えやアイデアを言って議論していくことも、場合によっては生産的です。
その結果、相手の考えをより良い方へ導くこともあると思います。
ですが、結局わからないままということも多いともいます。むしろそのほうが多いかもしれません。
しかしそれでいいのです。
わからないなら「自分にはわからないが、相手には相手のしっかりした理由や信念があってそうしているんだな」と考え尊重すれば良いのです。
そして「自分には知らないことがある」と思い、その後考え、知っていくようにすれば良いのです。
上のツイートを例に出せば「学費以前に生活費もままならない人が世間にはいる」ということを認識することは、この社会で生きていく上で、社会をより良くしていく上で重要なことでしょう。
また「外国人にはわからない」と例に上げましたが、多様化の重要性が叫ばれている現在の世界で、今後、様々なバックグラウンドを持った人々と接することが当たり前の社会となることを考えると、わからないことや考えに出会った時、拒否したり不思議に思うのではなく「自分にはわからないがそういった考えもあるのか」と相手を尊重し一旦引き受けてから、改めて自分なりの考えを造っていくと言ったやり方が重要になると思います。
まとめ 他人のことを思いやり、理解できなくても尊重することが大切。
さて、ツイートに戻りこの記事を締めたいと思います。
「学費以前に生活費もままならない人が世間にいる」ということを知らない人、そしてそういった事実を目の当たりにしても納得できず受け入れようとしない人は、私の実感からしてもすごく多いです。
ですが、ちゃんととわかってくれる人もいます。
近い体験をした人もそうですが、環境や立場が違ってもしっかりと他人のことを考え、思い遣ることのできる人です。
私はそのような人に出会うことができました。
その人は本当に他者のことを考え、行動しています。
ちなみにその人は結構なお金持ちです。
ですから、「お金がある家庭に産まれた人には分からんだろうけど」という部分に関してはツイートは間違ってるかもしれません。
例外もあるということですね。
私は他人を思い遣ることのできる人でありたいと思っていますし、他の人にもそうであってほしいと思います。
しかし、実際に他人のことを考えや理屈がわかることはもちろん、”わかろうとすること”でさえ、なかなか難しいことだと思います。
しかし今回のツイートを見て、自分の経験を振り返り、今の社会状況を考え、それは必要なことだと思いました。
私自身はそれを少しでもできるように努力していきます。
そして、もしこの記事を見てくれた人がいたならばその人にも、他人の置かれている状況や心情を想像し、思いやり、それでもなかなか理解できない時は否定するのではなく、異なる考えを持つ人として尊重する。
そんなふうにしてもらえたらと思います。