2018年の夏に岐阜県の郡上八幡に行ってきました。
そこには昔懐かしい「日本の夏の風景」が残っていました。
橋から川に飛び込む子ども達はまだいます。
郡上八幡と言うと、今では有名な観光地です。
山に囲まれた湧き水の流れる水路が巡る、水に彩られた美しい町です。
町並みも古い建物が多く残り、歩いているだけでもどこか懐かしい気持ちになります。
また、町の真ん中には吉田川が流れ、鮎などの川の幸を中心とした、自然に囲まれた土地ならではの料理も有名です。
そして近年はニュースなどで取り上げられることが多くなった、7月中旬から9月上旬まで32夜開催される郡上おどりで知られています。
そんな自然と歴史と文化のある町ですが、そこに訪れた私が一番見たかったのは橋から川に飛び込んで遊ぶ子ども達です。
数年前に訪れたときにはその光景を見ることができず、危ないから禁止されたといった話も耳にしたことがあり、もう失くなってしまった風景なのかもしれないと思っていました。
しかし今回訪れると、橋から元気に飛び込む男の子達に会うことができました。
川に飛び込む子どもたちの話
直接彼らから話を聞いたところ、危ないと言われることもあるそうですが彼らにとって、そしてこの町にとって、こうして遊ぶことが当たり前のことのようです。
飛び込むだけでなく、川で泳いだり遊んでいる子ども達がたくさんいました。
年齢や男女問わず、子ども達が自然の中で楽しそうに遊ぶ風景は、いつまでも残っていてほしいものです。
しかし川への飛び込みが危険なのも事実
しかし川遊び、特に飛び込みが危険なのも事実です。
2000年以降だけでも3人の方が亡くなっています。
亡くなったのはいずれも県外の方です。
90年頃から飛び込みのコンテストが行われていたのですが、その死亡事故の影響で現在は開催されていません。
一時期は飛び込み禁止という意見も出ていたようですが、いまのところ禁止とはなっていません。
その代わり、橋の近くには
警告
この橋からの飛び込みで重大な事故が発生しています。
不慣れな方等の無謀な飛び込みは厳に自粛されるように警告します。
ー郡上市ー
という警告看板が橋の近くに掲げられていますあります。
慣れていないとダメということですね。
昔から地元の子どもたちも、下級生が“デビュー”するときはかならず経験者の上級生がつかなくてはいけないというルールの中でやっていたそうです。
自然は危険な側面もあるが、その中で遊び育つのが子どものあるべき姿
郡上八幡の町の真ん中を割るように流れる吉田川には、結構な高さにいくつか橋がかかっています。
本来子どもとは怖いもの知らずで無鉄砲なものなので、そんな所があれば当然、子ども達は飛び込んで遊びます。
川への飛び込みはいつから始まったというのではなく自然にはじまったもののようです。
またこの郡上八幡だけでなく、似たような橋や高い岩があれば、そこから飛び込むというのは日本のどこでも見ることができたもので正に原風景といえます。
しかし、それは昔ながらの風景だから、ただ懐かしいと言うだけではありません。
自然は危険な側面もありますが、その中で遊ぶことで子どもはその自然というものの楽しさ、恐ろしさ、偉大さなどを身を以て学び、成長していくものだと私は思います。
危険はあれど、それがあるべき健全な姿だと思うのです。
ですが平成に入り、郡上八幡のその風景は当たり前のものではなく、日本各地で失われつつある特別なものになってしまいました。
そして観光資源にもなり、コンテストが開催されるようになったのです。
しかし結果は上に挙げたとおりです。
私は、こういったものは変に盛り上げるのではなく、自然な形のまま残ってほしいと思っています。
郡上八幡の飛び込みは、子ども達の当たり前の遊びであるべきです。
そして、そんな自然の中の当たり前の遊びを通して子どもは成長しています。
だからこそその風景が懐かしく美しいと思うのです。
現在多くの土地で自然が減り、子どもの数も減っています。
また危険な行為に関する規制などで、公園でさえ様々な遊びが禁止されています。
それらは致し方ないことかもしれませんが、古いもの・懐かしいもの、そして子ども達の生き生きとした姿はかけがえのないものです。
郡上八幡には美しい町並みとともに、その風景が残っており、これからもずっと残っていってほしいと私は思うのです。